SNSが苦手だということに気づいた

SNSが苦手だということに気づいた。10年近く毎日見ていたTwitterから少し距離を置いてみて気づいた。

 

何故苦手だと思ったのか、少し考えてみた。

 

TwitterYouTubeを開くと毎日誰かが喧嘩しているところが目に入る。そんなことは今まで気にしていなかったが、実はストレスになってなっていたのだと思う。やはり人の喧嘩を見るのは気分が悪い。

 

SNSでは写真や動画、言葉などのコンテンツが大量に生まれ、消費されている。

十数年前までは、写真や動画は思い出の引き出しを開けるための鍵で、アルバムの中に大事にしまっておく物だった。

スマートフォンの登場や様々な技術革新によって、写真や動画が誰でも簡単に撮れるようになり、SNSによって簡単に拡散できるようになった。それに伴い、写真や動画は、"大事にしまっておく物"から"共有する物"へ質的に変化した。

これが、思い出は心の中に閉じておきたい派の自分に合わなかったのだと思う。

 

ところで、ラッセルは『幸福論』の中で、不幸の原因として「競争」「退屈と興奮」を挙げている(他にもある)。

SNSには地位や収入といった面での"成功"に囚われた人達が沢山「競争」しているし、溢れかえる刺激的なコンテンツは人々を常に「興奮」させている。

このように、SNSには私たちを不幸にする種が大量に落ちている。

ラッセルすげ〜

 

もちろん、SNSが完全に悪だとは思っていない。

SNSでは、様々な人の考え方や、生活に役立つ知識を学ぶことが出来る。特に私はエンジニアなので、仕事に役立つ情報の多くをSNSから仕入れていた。

...でもやっぱり苦手なのである。

 

しなやかに人生を生きるため、私がわたしであり続けるために、SNSとの付き合い方をしばらく考えたいと思う。